長電話(ながでんわ)
同じ志(こころざし)を持っている美容師の仲間がいることは
切磋琢磨(せっさたくま)ができ、ありがたい存在
専門学生時代からの友人はなかなか会うことが少なくなってはいるものの、美容師を続けてる人、ハサミは持たずに違う職業に励んでいる人、SNSを通じて活躍している姿をたまに見かけると、「自分もがんばらないと」と背中を押してくれる存在が故郷にはたくさんいる
そんな中、アトリエがオープンしてから出逢った美容師仲間もいる。私はその美容師がつくるスタイルや世界観が好きで、どうしてもコンタクトがとりたくなった。そして数年前、思い切ってその美容師にSNSのDM(ダイレクトメッセージ)で声を掛けさせてもらった
それからの付き合いで、今もずっと仲良くさせてもらっている
定期的にアトリエでミーティングをしていたが、
お互いなかなかタイミングが合わずに断念することもしばしばある
そんな時は情報交換の為に、サクッと電話をする
ただ毎回サクッのつもりだがついつい盛り上がり、気が付いたら
これでもか!ってぐらい長時間になってしまう
こんな感じでw

(画像掲載許可済み)
仕事のこと、プライベートのこと、最近の出来事などほぼほぼ話している
そんな中、仕事の話にどうしても力が入る
個人でお店をしてることもあり、共感することが多々ありながら、そして昨今やはり話題は”AI”のことになった
「チャッピー」
今、チャッピーと聞いて何を思い浮かべたでしょうか?
ChatGPT(チャットジーピーティー)
AIを思い浮かんだという方、最先端の現代人です
もしワンコかニャンコの名前が真っ先に頭に思い浮かんだ方、
“チャッピー”という名の市民権は、決してAIには譲れない。ワンコとニャンコの為に脳が勝手に最優先してしまう生粋の昭和,平成初頭の人かもしれない
貴方はどちらだったでしょうか?
そう、私は間違いなく後者だ(ただチャッピーという名のペットを飼ったことは一度もないw)
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AIというものが異次元に進んでいて、もう美容師の間でもかなり活用されていたり、ヘアスタイルの写真でさえ、生成AIされた写真を載っけてたりするのをどこかでみたことがある
そんな中あえてAI時代に考えたい課題がある
三つぐらい要素があるのですが
その中でこれだけは書きたいとおもいます
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大前提として決してAI否定をしているわけではない
しかし何かしらのクリエイター(創造すること)を生業にしている方にとっては大切にしたいことがあると思う
それは、
【自分の頭で思考(しこう)して、物事をつくりあげたり、進めていくことへの”楽しさ”を感じること】
たまに会話の中で言われることだが
「美容師は手に職だから、さすがにAIに仕事を取られたりはしないですよね」という会話
私も、”今は” そうだと思う
しかし将来ヒトと全く同じ動きのロボットが誕生して、美容師ロボットが正確に美しくカットしてくれたら
その時それでも本当に職はなくならないと、言えるのだろうか
それを本気で思ったのは海外(確か中国)で造られたAIロボットが人間よりすごい動きのダンス(舞踊?)をしている映像を見た時だった
アクロバットな技を狂いなく、しかも集団でこなしていた。それをテレビか何かでみたとき、決してロボットがヘアカットする時代は夢物語ではないと思った
いやむしろもうたぶんやろうと思えば、可能なんだと思う
もしその時代が来た時、それでも”美容師にカットしてもらいたいと思われる価値”とは一体なんなのだろうか?
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話は少し変わっていくが、その反面 少し違う角度からの見方もしている
今現代はとても”正解”をすぐに求めてしまう。スマホひとつで”すぐに解決できる”といえば、まさにそうかもしれない
ひとつ私の例を書きたい
私はアトリエで摘んだ野草や花の名前をネットで調べず、あえてわざわざ母に尋ねることがある
「これってなんて名前の花だっけ?」
はっきり言って花の写真を撮ったらわかるアプリだってあるのに、それには頼らず、母に頼る
母がお花の名前に詳しいということもあるのだが
仮に母がチャッピーやアプリを使いこなして、私に答えを教えてくれていたとしても構わない
私がしたいことは
“人に頼ること”を大切にしたいと思っている
AIの方が早くて正確なのかもしれない
ただAIに頼った瞬間に
“母と私”の間にコミュニケーションのキャッチボールが一回だけ失われたことになる
そんなちっちゃなことと思いがちだが、親の心子知らず。というものだ
こんなことを書いていながらでも、親の前では遠慮なくスマホ触っているまだまだ未熟な自分もいる
たぶん我が子が大きくなった時に、もし自分の子どもたちが(友達の子も含めて)
目の前にいる私とキャッチボールをせずに、ずっと手のひらの箱の中のみから得る”答えだけ”を追っていたらどうだろうか
ちょっと前の私は、子どもの前でも平気でスマホを取り出してしまう癖があった
しかし今はどうしてもスマホを使用する時、子どもの前でちょっとだけ作業する時に
「ちょっとだけ作業するから待ってね」と一言だけ断りを入れるようにしている
この断りを入れることは、初対面や最近会った人との会話中だったら当たり前のように出来ることだけれど、慣れ親しめば親しんだ人ほどもうエンドレスにスマホと睨めっこしてることもある(私も例外ではないので人前でのスマホ使用はかなり意識している)
なぜスマホを無意識に触ってしまうのかは
アンデシュ・ハンセンの【スマホ脳】という超オススメの衝撃本があるので、特に子育て世代の方は、ぜひ一読していただきたい名著です
たぶんちょうど30代〜40代の世代の方は 幼少期や10代のあの多感な時期から、携帯やインターネットが始まった転換点
今の子どもたちはそれら(ネット社会)が、もともとなかったことを知らない世界にいる
そして私たち転換点世代なら一度でも薄っすらと こう思ったことがあるのではないでしょうか
「スマホもない昔の何も情報がない時ってなんか良かったよね」と
もちろん答えを急ぐ時や緊急な時なら、早いことに越したことはないし、助かっていることもあるかもしれない
しかしそれは
“本当の意味”で急ぐのか
“正解を急ぐこと”よりもまだまだ大切なものを見落としているような気がする
そしてさらに緊急であればあるほどに、最後の最後に頼れるのはやっぱり”人”なんだと思っている
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山頂の景色だけが(結果)すべてだったとしたら
なぜこんなにもそのゴールまでの道のりで
人生で忘れ難い景色やドラマに出逢えるのか
終着地点だけでは到底説明がつかない
それはちょっどSNSが盛り上がる前の
私が20代前半の頃に屋久島を一人で訪れた時に
ふわぁ〜っと心の中で思ったことでした








夫婦杉は仲良く手を繋いでる








この屋久島の旅は、たくさんのスーパーハプニングがありながら、ここでは語り尽くせないほど、全くの旅が無知な私に、島全体が包み込んでくれたような、そんな人情味溢れるエピソードがたくさんありました
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目指すのはもちろんゴールだけれど
ゴールにだけ楽しさや喜びがある。わけではない
その道中=プロセスの中には栄養素がある
言い方は荒く感じるが”無駄なこと”や”わざわざ”そして”寄り道”の中にこそ、人生を育む為の必須な栄養素がたくさんあるのではないでしょうか
身体をつくるのに必要不可欠な必須アミノ酸の如く、それらの栄養素にも同じように、こんな名前を名付けたい
【 ムダノミン酸, ワザワザン, ヨリミチアニン 】
パッとしない日や モヤモヤが溜まってきたら是非とも、これらの栄養素も補給することをオススメします

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今回も長文読んでいただき、ありがとうございます
前置きで「何かしらのクリエイター(創造すること)を生業にしている方」と述べましたが
本当のことを言うと、すべての生業(家事を含め)が考えながら仕事をしているので、みんなクリエイターだと思っています
毎回内容が同じように感じてしまい、なんだか申し訳ないと思っていたり、何が言いたかったのか迷宮入りしてしまいます
さいきん長電話はしましたか?
それが言いたかったですw
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まだまだ暑いです 大きな災害で 心がくるしくなることもありますが おおいたも揺れましたので こちらも備えを忘れずに生活をしていきましょう
では今日はこの辺で
熊本に平穏な1日が戻りますように
2026,8.8







































































































