中学の卒業式。
今年もまた、この季節が通り過ぎた。
友達や、知り合いの子が
SNSの親しい友達設定のストーリーに映る
あのあどけなかった笑顔はいつのことか
子どもから大人の階段を確実に上がっている
なんとも凛々しい姿を並べている。
左手の親指でiPhoneの画面をスクロールするほどに
成長と時の経過を届けてくれる。
あっ!!!
そーいえば!!!
私ももう気付けば中学卒業式からうんうん十年が過ぎていた。
変なテンションで変なタイミングで思い出が蘇ってくるのが、アラフォーの宿命なのか。
あの日、それっきりになった友だちばがりだけれど、
アトリエに足を運んで来てくれる友だちは
私を自然とあのBlue Spring (青春) に戻してくれるような
そんな感覚にいられる。
今となっては、非常に稀有な存在だ。
もひとつ言わせてもらうと、
同じ道を歩んでいて、途中で別々の道を選んだが、
また何かの拍子に偶然歩いていた道が合流して、再会する。
90’sのテレビドラマのストーリーでありそうなことが、現実に起こることは滅多にないのだが、この2025年の3月、私にはあったのだ。
たまたまニューオープンした遠方のオシャレカフェで、たまたま同じ時間に予約してて、そこのレストルームへ続く通路で、すれ違うその瞬間にバッタリと。
とそんなdramaticに再会というわけではなかったわけだが、どこで偶然会ったのかは、ココでは割愛するとしよう。
私の記憶が正しければ、中学校の卒業式に一緒に記念写真を写ルンですで撮ったのが最後だ。
だとしたら本当にうんうん十年ぶりの再会なのだ。
再会したその日の話した内容は、もちろん胸の中に閉まって置いておくとしても、
また出逢えたことは、純粋に嬉しく、いや嬉しいという言葉が正確なのかはわからないが、
もっといろんな感情がぐるぐるしている嬉しさというか、今も書きながらその言葉を探しているが、ドンピシャなものが見当たらない。
とりあえず嬉しいということだ。
たまたま偶然会っただけだとしても
また会おう。とあの日約束を交わして
数年ぶりにその約束を果たせたような
嬉しさに近いのもしれない。
さて、
急に話は変わるが、男子たちの永遠の憧れ
みうらじゅんさん(67)と、いとうせいこうさん(63)の33年後の約束をご存知だろうか?
詳しくことは割愛しますが、気になる人はぜひとも下のYahoo!NEWSをポチッとしてほしい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8284b2471fced86c54f4fcedfe43c1939ad6bd95
このおふたりは大の仏像好きで、仏像を見て歩く「見仏記」というものを共同で執筆(第8巻まで刊行)し、その第1巻(1997年)のラストにこう書かれている。
〜〜〜
「三十三年後の三月三日、三時三十三分に三十三間堂の前で会いましょう。
そんなおかしな待ち合わせを、我々はしていたのだった」
〜〜〜
その約束を1992年の京都駅構内の喫茶店でしていて、今年2025年、京都の国宝,三十三間堂(さんじゅうさんげんどう),蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)で
3月3日午後3時33分、その”会う”という約束を見事に果たしたというものだ。
その時の三十三間堂で行われたイベントのトークライブのインタビューでみうらじゅんさんが言ってた言葉
「みなさんもかるぅ〜く”約束”はしておいた方がいい」と。
もうこれまた”しんをつく”言葉でした。
ココロに笑いが起きるのとほぼ同時に
胸がジーンとする。といえば良いのか。
無数の感情が同居しながらだけど
しっかりポジティブになれる言葉だ。
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人それぞれその道中には、ホントにいろんな出来事がある。
「ずっと道を歩き続けると別れることもあるけれど、またどこかで出会う。」
っていやいやそんなドラマの決めゼリフ
もしくは、売れる為につくられた歌詞ですか?とちょっとだけ疑っていた時期もあったけれど、
ドラマの決めゼリフでも、売れる為につくられた歌詞でもない。
現実にあるんだとわかった、ある3月の日だった。
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昔から話も道もそれたり、着地地点が不明確であることもよくよくありますが、
それが書きものの良さというものです。
長文、読んでいただきありがとうございました。
貴方はさいきん約束をしましたか?
またはめっちゃ久々の再会した人はいますでしょうか?
人でなくても、場所でも良いです。
ちょっと大袈裟な言い方だけど、昔の自分を知ってる友人に会うと、自分が辿ってきたルーツを感じる(思い出す)ことも、生活のスパイスとして必ずプラスになるので、オススメかもしれません。

「Hさん、ありがとう☺︎」